ミスター麻雀・小島武夫さんの通夜にファン・関係者ら約500人

 5月28日に心不全で亡くなった「ミスター麻雀」こと麻雀プロの小島武夫さん(享年82)の通夜が6月8日、桐ヶ谷斎場(東京都品川区)で営まれた。通夜には関係者、ファン含め約500人が参列した。小島さんは日本プロ麻雀連盟の初代会長に就任。晩年は最高顧問を務めながら、幻の役満「九蓮宝燈」をテレビ対局でアガるなど、その華々しい活躍ぶりにファンからは「ミスター麻雀」「小島先生」と呼ばれ愛された。参列者からも、一時代を築いた偉大なプロ雀士を惜しむ声が相次いだ。

日本プロ麻雀連盟会長・森山茂和プロ

 「小島先生は兄貴分のような存在でした。先生がいるおかげで、麻雀プロという仕事が広がり、連盟にとって、というか麻雀界にとっては宝でした。そのおかげで、本当に今の麻雀界があるんです。麻雀のプロの世界が開けたのも、小島武夫という存在があったから。僕たちもその点は本当に感謝して、やはり小島武夫が持っていた麻雀に対する愛を受け継いでいかなければいけない。遺影は、麻雀卓も写っているし、にこやかでいい笑顔だなと思って選びました。年相応で明るい感じがいいのかなと。MONDO名人戦で九蓮宝橙をアガった時に同卓してますが、番組以外で同卓した時にも何回も役満をツモられています。そういう華のある方でした」


バビィこと馬場裕一プロ

 「僕がこの業界に入ったのは、小島先生に憧れて、会いたくて入りました。野球少年が長嶋茂雄に憧れてプロ野球選手を目指すのに同じ感覚です。高校生の時に竹書房でバイトしていたんですが、最高位戦の対局の日『馬場くんすごいよ、今、小島プロが九蓮宝橙アガったよ』って近代麻雀の先輩編集者から電話があったんです。それから約半世紀を経て、MONDO名人戦で九蓮宝橙をアガった時、解説を担当させてもらいました。小島先生が九蓮宝橙をアガった時に、42年前に聞いた『小島先生が九蓮宝橙アガったよ』という編集部からの電話の声がかぶってきたんです。映像麻雀のきっかけを作ってくれたのも小島先生。今は麻雀対局番組が華やかな時代になり、僕も小島先生の打ち方を実践してきたつもりですけど、やっぱりその域には達することは無いので、小島先生のような明るくて、魅せる麻雀の打てるプロを育てていくなり、応援していきたいなと思っています」


小島武夫さんの孫、小島優プロ

 「私にとっては普通のおじいちゃん。言ったことは忘れるし、私と性格も似てるO型の典型。だから私はおじいちゃんを見習っていきたいし、小島というおじいちゃんの名前を継いで麻雀プロとしてやっていけるのも私しかいない。『恥ずかしい麻雀はするな』って言われてました。そんなのは格好悪いからアガっちゃだめだって。格好いい麻雀打ってなんぼでしょってずっと言ってました。お医者さん曰く、本当はものすごく痛かったはずなのに、おじいちゃんは痛いなんてひとことも私にも言いいませんでした。私との最後の会話でおじいちゃんは謝ってきたんです。『優、すまんな』って。その後は会話できるような状態じゃなくなっちゃったんで。また元気になって一緒に麻雀が打てるようになると思ってたんですけど。話をすることも好きで、麻雀することも大好きだったので、おじいちゃんは入院したくなかったんでしょうね。痛いところを見せたくない、見せたがらない人でした」


遺影を撮影されたカメラマン・寺内安彦さん

 「『ミスター麻雀 小島武夫五番勝負』という対局DVDのインターバルに撮影した写真です。普段の小島先生の魅力が出ている写真だと感じます。私と30歳違うんで、父のような年齢なんですけど、大人の色気というか、滲み出るオーラがありました。麻雀やっている時は勝負師の顔になるんですけど、普段は人懐っこいおじいちゃんという表情になられていて、スタッフの私にも気さくに声をかけてくださるような方でした」


東京都40代男性・一般ファン

 「仕事が終わってすぐ焼香に駆けつけました。6、7年前、まだ十段戦の観戦が出来た時代に、小島先生の後ろで観戦していたんです。高目だとタンヤオ・ピンフ・ツモ・三色・ドラ1で跳満のところを安目をツモっちゃってピンフ・ツモ・ドラ1。『こんなのアガっちゃだめだよ、ガハハ』って笑いながらアガっていたんです。今でもそれだけは頭に残っていて、麻雀を打っています」

【取材:福山純生(雀聖アワー)】

(C)竹書房


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